インタビューを受けてくれたのは......
ジュリア・カセム
1984 年から 99 年まで、ジャパンタイムズ紙のアートコラムニストを務める。2000 年より、英ロイヤル・カレッジ・オブ・アート「ヘレン・ハムリン研究センター」において、インクルーシブデザインに関する第一人者として、「ChallengeWorkshops」プログラムをはじめ、技術・知識の共有を目的としたワークショップを多数企画・運営。10 年、英デザインウィーク誌の「デザインの世界に最も影響を与えた50 人」に選出される。14年5月、京都工業繊維大学 KYOTO Design Labの立ち上げ担当として特任教授に就任。現在は特命教授として活動中。
インクルーシブデザインとは? ユニバーサルデザインとの違い
観光立国を掲げ、政府が主導して推進している日本。コロナ禍により、2020 年以降は海外からの旅行者は途絶えていましたが、東京 2020 オリンピック競技大会の開催もあり、鉄道や道路、宿泊施設、学校、公園など、さまざまな場所のバリアフリー化が進みました。例えば駅一つとっても、東京都心ではエレベーターやエスカレーター、多機能トイレ、多言語表示案内などがほとんど設置されています。 このように生活の中で不便を感じること、さまざまな活動を妨げる障壁を取り除く考え方は、バリアフリーと呼ばれます。では新たに作るものに対して、障壁を取り除くことをベースとしたデザインの考え方は何と呼ばれるのでしょう。それが「インクルーシブデザイン」です。ユニバーサルデザインとどう違うのでしょうか。 「インクルーシブデザインもユニバーサルデザインも目標は同じです。いずれも人を排除するのではなく、多様な人をインクルーシブ(含める)こと。ですが、生まれた背景とアプローチの方法が違うのです」(ジュリア氏) ユニバーサルデザインは、米国の建築家でプロダクトデザイナーである、ロナルド・メイス(通称ロン・メイス)氏が提唱した考え方。車いすを使用していたメイス氏にとって最大の問題は、建物へのアクセスが難しいことでした。そこでメイス氏はそういう排除がなくなるよう、あらかじめ誰もが使いやすいようにデザインしておけば良いと考えたのです。 「ユニバーサルデザインの7 つの原則は、主に物理的なインフラを対象とし、IT 製品やサービスに対するインターフェースはあまり対象としていないことが特徴です」とジュリア氏は言います。 一方、時を同じくして、英ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの名誉教授、ロジャー・コールマン氏が提唱したのがインクルーシブデザインです。 「デザインというとみなさん、『モノ』をイメージするかもしれませんが、コミュニケーションやサービスなど物理的ではないものも含まれます。インクルーシブデザインは、それらも全て対象とします」(ジュリア氏) また言葉の響きも異なります。ユニバーサルとは全ての人という意味で、全ての人にピントが合っているデザインです。「実際のデザインで、とうてい実現できるものではありません。以前から“ユニバーサル”という言葉に違和感を覚えていた私にとっても、インクルーシブデザインという言葉の方がしっくりくるものでした」(ジュリア氏)
インクルーシブデザインは「プロセス」が大事
このような違いはあるとはいえ、ユニバーサルデザインもインクルーシブデザインも排除する人を作らないようにすることを目的としているデザイン手法という点では共通しています。そのためいずれの手法においても、まず排除されるのはどんな人かを考えることから始まります。目の不自由な人や耳が遠い人、手がうまく使えない人という障がいのある方に加え、LGBTQ や日本語が分からない人(外国人を含む)、さらにはデジタル機器を使いこなせない人など、これまで場合によっては排除されてきた方たちと一緒にアイデアを考えていくのです。そしてそれらのアイデアの中からより良い候補を選んでプロタイピングを作成し、テストをする。このデザインプロセスを繰り返し、より良い製品やサービスへと仕上げていきます。 「インクルーシブデザインではこのプロセスが非常に大事になります」(ジュリア氏)
またジュリア氏はこのデザインプロセスの中に、「あえて、マーケティング担当者も入れない方が良い」と言います。その理由について尋ねると、「マーケティング担当者はデータを基にターゲットにフィットしたモノを作ろうとします。例えば、私をターゲットとして商品やサービスを考えるとき、一般的な70 代の女性を想定するというのがマーケティングでの常識です。ですが、時には私の頭や心はティーンエージャーになることもある。つまり人間にはそういう複雑性があります。セグメント化されたデータに縛られると、ユニークなアイデアはなかなか出てこない。だから、マーケティングを考慮せずに、考えることをお勧めするのです」(ジュリア氏)
「シブヤフォント」は産官学福のコラボによる成功事例
では、具体的にインクルーシブデザインの実例としてはどういうものがあるのでしょう。ジュリア氏が紹介してくれたのが「シブヤフォント」。シブヤフォントとは、渋谷区内で暮らし、働く障がいのある人たちが描いた文字や絵を、同区内の桑沢デザイン研究所の生徒がフォントやパターンとしてデザインし、パブリックデータ化する取り組みで、2017 年から始まりました。その売り上げの一部は、渋谷区内で暮らし、働く障がいのある人の工賃向上に還元されるという、産官学福の日本初のソーシャルアクションです。 「この取り組みで生まれたフォントは渋谷区役所内の案内表示板や職員の名刺にも使われているんですよ」(ジュリア氏)
Photo1.シブヤフォントで生まれたフォントやグラフィック
Photo2.制作されたフォントやグラフィックはダウンロードしてさまざまなモノやコトに利用できる(グラフィックデータは有料)
またサラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナの首都)では、若い人たちが町を出てしまうという課題と、聴覚障がいのある職人が働く印刷工房で国の支援が少なくなったことで、運営が厳しくなってしまったという課題がありました。 「その工房で働く障がい者には印刷の知識や技術はあったのですが、商品を企画したりデザインしたりはできませんでした。そこで地元のデザイナーとコラボレーションするワークショップを開催。障がい者の知識や技術を活用して、町の新しい製品を作ることで、ビジネスも広がりました」(ジュリア氏) ワークショップ開催後、ビジネスは広がり、工房の運営が安定したことで、障がいのある人たちの自信につながっただけではありません。「デザイナーたちも、これまで排除されていた人たちと一緒に作ること、つまり多様性に触れることで、これまでにない発想を得る機会になったという声を聞きました」とジュリア氏は話します。
Photo3. サラエボのプロジェクトでは街の若手デザイナーと工房で働く障がい者がコラボレーションして取り組んだ
Photo4. プロジェクト後の印刷工房。街の新しい製品を作るなど、ビジネスが広がった
難しく考えなくていい。第一歩は「相手の立場に立つこと」
昨今、さまざまな場面で「多様性(ダイバーシティ)」について語られることが増えていますが、「私の母国である英国と比べると、日本の多様性はまだ十分ではありません」とジュリア氏は話します。デザインプロセスのところで挙げたように、受け入れるべき多様性は多岐にわたるからです。だからといって、「日本は遅れているというわけではありません。私の娘が旅行に出かけても、困ることはほとんどありません。つまり、公共でのサービスは英国よりも進んでいるからです」とジュリア氏。 モノづくりやサービス作りに関わらなくても、世界中の組織、人々が SDGs に取り組むこれからの社会において、インクルーシブデザインに関する知識を持つことは大事なことです。 「特別、何かを勉強する必要はありません」と笑顔で話すジュリア氏。私たちの周りには高齢者や身体が不自由な方、日本語を母国語としない人など、いろいろな人がいます。そういう人たちの立場に立って考えること。それがインクルーシブデザインへの第一歩となるからです。先に紹介した「シブヤフォント」プロジェクトのアートディレクターはジュリア氏の娘であるライラ・カセム氏が務めています。ライラ氏は障がいがあり、車いすが欠かせません。ジュリア氏はそんなライラ氏の立場から日常を見ることで、いろいろ不便なことがあると気づかされ、そういう方たちを排除しない活動に取り組んでいくうちに、自然とインクルーシブデザインの世界に入り、今では第一人者と呼ばれるまでになりました。
またもう一つ大事なこととしてジュリア氏は、「高齢者や障がいのある人向けのものはカッコ悪いというイメージを払拭(ふっしょく)すること」と指摘する。最近では補装具でもセンスのいいデザインのものが登場していますが、まだまだカッコ悪いというイメージを持っている人もたくさんいるはずです。これからは高齢者や障がいのある人を排除することなくいかにおしゃれに魅せていくか。これは、未来を創る学校で学ぶみなさんに課された課題と言えるかもしれません。ぜひ、積極的に自らとは違う立場の人たちと触れ合い、システムを開発するときに無意識のうちに特定の人を排除していないかを考えるクセをつけるようにしましょう。そうするうちにいつの間にか、インクルーシブデザインの考えが身に付いているはずです。
キャリアマップ編集部 文/IT ライター 関洋子
本文はCareermap編集記事(2022.10.24配信)内の掲載記事です。記載されている内容は掲載当時のものです。
関 洋子Yoko Seki
IT ライター
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