2024.06.26

デニムとジーンズで地域活性と次世代育成

デニムとジーンズで地域活性と次世代育成

概要
中国デザイン専門学校は、2003年に「デニムジーンズコース」を開設。06年4月コースから科に昇格し、07年にはジーンズ界の重鎮とともにデニム教材を開発。

ビジョン】
全国初の「デニムジーンズコース」を立ち上げることで、ジーンズの聖地である岡山県で活躍する次世代の担い手を育成すること。

<地方創生の仕掛け人たち>

吉村恒夫  Tsuneo Yoshimura
倉敷ファッション研究所 代表
倉敷紡績、マルオ被服(ビッグジョン)を経て現職。中国デザイン専門学校の元非常勤講師で現在は評議員。

田口 一子  Kazuko Taguchi
中国デザイン専門学校 校長
同同校ファッションデザイン科卒業、ジャヴァグループにて勤務ののちに同校教員。2011年4月より現職。

ジーニストの聖地で地域を巻き込みながら、次世代の担い手を育成し、貢献する

 ジーンズの聖地・岡山県で87年の歴史を誇る、中国デザイン専門学校には、日本で唯一、デニムジーンズ専攻コースがある。発案者は当時、一教員だった田口一子校長。
 「私自身、大手アパレルメーカーのデザイナーを経験し、県外で働いて初めて岡山のジーンズの素晴らしさを再認識しました。ジーンズ技術の伝承、業界を盛りたてる人材の輩出に貢献したくてコースを立ち上げることにしたのです」
 ちなみにジーンズの縫製には特殊な技術が必要だ。かつては新人研修で習得するのが業界の常だったが、ジーンズ製法の基本を教える学校があれば、企業は優秀な人材を採用できる。多くの地元企業が田口校長の思いに賛同し、ジーンズ用のミシンや糸・生地を無償で提供してくれた。

産学連携で加速、在学生の活躍も推進力に

 さらに大きな後押しになったのは、ジーンズ業界の重鎮たちが味方に加わったことだ。その中心となったのが、国内初のジーンズブランド「ビッグジョン」で3000万点以上の商品を創出した吉村恒夫氏。海外マーケットにも精通する業界の第一人者である。
 吉村氏が「ビッグジョン」を退職する約1年前、中国デザイン専門学校の一行が工場見学に訪れた。ある学生が無造作にごみを捨てたのを偶然見かけた吉村氏は「言語道断!」と叱責。ところが後日、その学生が謝罪したいと申し出たことがきっかけとなり、謝罪から一転。翌年から同校の非常勤講師を務める話が一気に進んだ。
 「ジーンズはファッション衣料というより工業製品に近い。技術を身につけるには長い時間と経験が必要です。以前から学校という仕組みの中でプロを育てるカリキュラムがあればと考えていたので、講師を引き受けました」(吉村氏)
 吉村氏の全面協力のもと、「ベストジーニスト」を主催する日本ジーンズ協議会やデニム業界のパイオニア企業など、そうそうたる顔ぶれがプロジェクトに参画。2007年、産学連携で臨んだ日本初のデニムジーンズの教材が完成すると、専門学校のみならず全国のアパレル企業から問い合わせが殺到した。
 また、デニムジーンズコースの存在が全国に知られるようになった背景には、在校生の活躍があったことも見逃せない。自主ブランドを立ち上げた学生の取り組みが人気ファッション雑誌に掲載されると、全国から人材が集まるようになった。約2割が県外からの入学生だったが、90名以上におよぶ卒業生ほぼ全員が児島地区のジーンズ関連企業に就職、ジーンズ産業の担い手として地域の発展に貢献している。また、素材、縫製、加工、仕上げなどの業種が集積し、町全体が一つのチームとしてジーンズを一貫生産する児島の地域特性から、独立起業して活躍するケースも少なくないという。

児島から今再び、ジーンズの新時代を拓く

 海外でも最高級と評される日本製ジーンズを学ぼうと、世界中から企業や学術機関が視察に訪れる。児島でモノづくりを学び海外の一流ブランドで活躍する人材も少なくない。2016年には児島発の国際的なイベント「デニムオリンピック」構想が持ち上がるなど、地域と人・モノをつなぐブランディングへの取り組みも勢いづいている。国内ではジーンズの低価格化が進んで久しい。しかし「自分らしい生き方」が見直されている今、ジーンズの価値に再び注目が集まっていることも事実だ。ジーンズの最たる魅力は経年変化。歳月を経るごとにオリジナリティを増し、自身を象徴するアイテムへと昇華していく。その価値に気づいた若者の息吹により、児島のものづくりは今後もさらに進化していくだろう。
 「私にとって地方創生は特別なことではなく、ジーンズに魅せられた夢追人を全力で応援する、その一点に尽きます。真剣な一人の姿からすべては始まりますから」。田口校長たちの眼差しの先をこれからも見守りたい。


<Case1 デニムの聖地で活躍する卒業生たち>
県外から学びに来て、卒業後も聖地でジーンズの可能性を追及する

左合太志さん
株式会社ジョンブル勤務
令和3年度ファッションデザイン科、デニムジーンズ専攻卒業。愛知県立尾北高等学校出身。現在は同社の生産担当として活躍している。

 アメリカの映画俳優に憧れて、初めてリーバイスを手にしたのは中学1年。以来、ジーンズの世界にのめり込み、デニム一筋で愛知から岡山に来ました。自分の不器用さに嫌気がさした時期もありましたが、在学中に3回開催されたファッションショーを経て作品づくりの奥深さを感じられるように。少数制で先輩が後輩の面倒を見てくれ、現場を知る先生方からマンツーマンで指導を受けられたことも自信につながりました。学校の環境が整っていたので、時間を見つけてはリメイクや作品づくりに没頭。現在勤務する「ジョンブル」ではジーンズを中心に企画から販売までを一貫して手掛けており、モノが生まれる瞬間から消費者の声まで幅広く学べるチャンスがあるのでやりがいも大きいですね。“デニムはキャンパス”自身を最大に表現できるジーンズの可能性を今後もさらに追及していきたいです。


<Case2 工房の職人に>
大学卒業後、専門学校へ。今は地元で自分の工房を持つ

岡田浩史さん
etau(エト) 代表
縫製加工職人。平成25年度ファッションデザイン科、デニムジーンズコース卒業。岡山県立児島高等学校・岡山商科大学出身。

 シャッター通りだった商店街に「ジーンズストリート」が誕生したことがきっかけで、ジーンズの魅力を再発見。ファッション好きに火がつき、大学を出てから中国デザイン専門学校へ入学しました。帰宅後も夜な夜なミシンを踏んだことが自信となり、卒業してまもなく自分の工房を立ち上げました。
 振り返れば学校での学びは非常に実践的でした。テキストにはジーンズづくりの基礎が詰まっていて、独立後も頻繁に手に取っていたほど。すでにボロボロですが、起業後も役に立っています。こうして仕事ができているのも学校での学びのおかげと感謝は尽きません。
 独立して5年。地元のミシン屋さん・生地屋さんなど多くの方に力を貸していただき、現在は生地の選定から手掛けるフルオーダーに専念。自分の色を打ち出しながら、児島の町に恩返しができるようこれからも精進していきます。

本文はCareerMapLabo Vol.1(2022.10月発行)内の掲載記事です。記載されている内容は掲載当時のものです。

田口 一子

田口 一子Kazuko Taguchi

中国デザイン専門学校 校長

同同校ファッションデザイン科卒業、ジャヴァグループにて勤務ののちに同校教員。2011年4月より現職。

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